1976年 昭和51年 24歳
ミシンのセールスはグループでテリトリーを1軒1軒飛び込みで家庭
訪問する仕事でした。
当時、ミシンは店舗で販売している形態がなく、セールスマンが
掛け金を契約して、お客様は毎月2,000円を積み立てして必要な時
に商品を購入するというパターンだった。
娘が嫁入りするために高校生くらいから掛け初めて、嫁入りの時まで
に積み立ててた金額をミシン代金と相殺して、残りを現金や分割で
払う仕組みである。
積立することを「掛ける」と言ってたのだが、ミシン、編み機以外に
電気製品も取り扱っているので、目的もなく電気製品が壊れた時の
ために掛けている主婦も多かった。
今のように大手家電店が安く売っている時代でなかったので便利な
制度でもあった。
例えば2,000円を2年掛けると48,000円貯まる。
10万円のミシンをその時に買うと
10万円−(48000円+9600円)=42400円を支払えばいい。
9600円は積立金48000円の利息として20%が加算される。
嫁入りのお金がいるときの準備として便利な制度である。
とはいえ
仕事の内容は毎日知らない家を100軒くらい訪問して、ほとんど
は追い返され、雨の日も傘をさしてると不便なので、濡れながら
「ごめんください!○○ミシンです」
と断られても、断られても訪問しなければならなかった。
歩合給で1日に1軒の契約が取れれば、結構な給料ににるのだが
入社したての新人が簡単に契約を取れるはずもなかった。

でも、さぼらずに一生懸命訪問していると、話を聞いてくれる奥さんも
いて、同情半分であるが契約もボチボチ取れるようになった。
初めて契約が取れたのは、僕が玄関先で話し込んでいる姿を見た
先輩が横から
「こいつは新人でまだ1件も契約が取れていないんです」
と助け舟を出してくれて、奥さんが
「そうなの、いいわ。私が第1号になってあげる」
と言ってくれて契約できた。
僕はその奥さんの両手を思わず握り締めて
「ありがとうございます」と涙声で感謝した。
先輩にも御礼を言って、飛び跳ねるようにして営業所に帰った。
写真お借りしています↓ 

しかし、楽しいこともなかったわけではない。
看護婦さんの女子寮へ夜に訪問し、小型ミシンのデモをやるのは
仕事半分、楽しみ半分であった。パジャマ姿の若い看護婦さんに
囲まれながら話するのは、軽い興奮と共に至福の時間であった。
昼間でも暇な奥さんが家の中まで入れてくれて、ケーキやコーヒー
を出してくれて世間話をしたり、旦那への不満を言ったり、ふと変な
空気になることもあった。
僕は新婚だったから、逃げることが出来たが、若い綺麗な奥さんに
迫られて関係をもった同僚もいた。